夕張鉄道の 跡を訪ねて BICYCLE TOUR

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(2)夕張サイクリングロード区間(旧平和 駅−富野)

  写真4・サイクリングロード案内看板

 夕鉄の起点はMT.レースイスキー場の先の夕張本町からですが、今回は時間の関係 で旧夕張本町駅−旧若菜駅間は行きませんでした。以前訪れた夕張本町は、20年から30年前の活気のあった頃の古い街並みの多くが保存されていました。私 がちょうど物心ついた頃記憶にある木造住宅の軒下のちょっとした装飾、引き戸の玄関、雑貨商店、呉服屋などが、まだ現役で、不思議な時間の流れをかもし出 しています。

夕張本町−平和−錦沢−富野間の夕鉄線跡はサイクリングロードに姿を変えて存在しま す。これから富野までの線路跡はこのサイクリングロードが案内してくれるのでお気楽です。以下文中の左右の表現は、夕張から夕鉄線づたいに野幌方向を見て 表します。

写真3・ 千代田高架橋  

 夕張の町は、夕張川の支流であるシホロカベツ川の両側に細長くあります。その谷間 を夕張本町の方向からJR石勝線(旧国鉄夕張線)、道道3号の左を併走してきた夕鉄線跡のサイクリングロードは一端さらに左に膨らんでから右へぐいぐいと カーブし、高架橋でJR線と道道を越え(オメガカーブと言うらしい)現在もある高架橋を使って180度向きを変えていました。その後、この谷を抜け出す為 に左手の山間へ入って行きます。併走して来たJR線は、この谷の地形に逆らわず、川の流れに沿って谷を南へ向かって行きます。この旧国鉄線で小樽へ出よう とするならば、大変な遠回りとなります。一方夕鉄線は谷を形成する西の山塊を強引に貫き、蒸気機関車の能力限界の急勾配を石狩平野へ向かって最短距離で降 りて行きます。鉄道研究家・宮脇さんの本に1963年(昭和38年)の時刻表が出ていて、上り線で9本の列車のダイヤが書き込まれていました。これを見る と1時間30分で野幌まで行っています。朝と夕に急行もあります。

  今回の廃線探訪は、この高架橋から始めます。緑にペイントされたそれには、大き く文化・スポーツ交流の街ゆうばりとあります。ここは現在千代田という地名で、できたばかりの広いサッカーグランドが3面程と、きれいに芝が刈り取られた アスレチック遊具のある公園になっていました。ぽかぽかして気持ちよいのでベンチで仰向けになると、秋空が高くありました。その芝生の中を線路あとのサイ クリングロードがシホロカベツ川を鉄橋で渡って緩く左へカーブしています。10分程休憩してから出発です。道は雨霧山の連なりに入って行きます。

 

  写真5・旧平和駅

 程なく旧平和駅です。駅舎が休憩所としてきれいにリフォームされ、残してありまし た。今は周りに民家も無いのですが、当時はここも住宅が立ち並び、賑わっていて駅を作る必要があったのでしょう。サイクリングロードは深い掘り込みへと 下って行き、一気に怪しく寂しくなって行きます。併走の車道は、山一つ隔てて居て、車や 人の気配すら無くなります。熊出没注意の看板もあります。北海道 においてこの手の看板は落石注意の看板と同じと理解しています。(~~; この寂しい深い山あいを一人行く時、太平洋戦争と敗戦−高度成長時代に生きた人 々が、山をも貫き、なにがなんでも線路を通してしまったそのエネルギーをひしひしと感じざるを得ませんでした。そして更に現代の競輪にかける人々のエネル ギーも!。実はこの道は競輪の収益金で維持管理されているのでした。

 

写真6・1号トンネル

 鉄道用の古いトンネルが2つ続きます。その中だけ冷房がきいているかの様にとても 寒く、狭くあまりいい気持ちがしません。それらを抜けるといきなり道は鋭くZ字状に鋭角に曲がっていました。ここが錦沢のスイッチバック駅跡です。ここに 当時、ボートの浮かぶ池と遊園地があったとか。石炭や貨物を満載したSLが汽笛を鳴らし、登り、下り行く様を想像すると、その迫力は相当なものだったこと でしょう。この先もう一つトンネルをくぐって、道道3号札幌夕張線、通称札夕線へ次第に近づいて人の気配のする畑作地帯へ入って行きます。

 サイクリングロードは突如道道から200m程離れた畑の手前で終わり、自転車は道 道札夕線へ出されてしまいます。線路跡はあぜ道となって畑の中で消滅します。この先は自分で痕跡を見つけだし、それらをつないで行く作業が必要になって来 ます。難しい分、発見の楽しみのある探検がこれから始まります。

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