夕張鉄道の 跡を訪ねて BICYCLE TOUR
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(3)富野−旧二岐駅−旧継立駅

 さて廃線跡サイクリングロードから放り出されて、道道3号札夕線へ出ます。突然終わったのは、富野が夕張市の境界 だからなのでしょう。尚、富野は通過地点で駅ではありません。これからは栗山町へ入って行きます。先ほどのサイクリングロードの消え方から見て、線路はこ の道の左奥を200mも離れず併走して、次第に札夕線へ接近してくるはず。道と平行して阿野呂川が流れていますが、線路はこれをどこかで渡っています。路 肩にはすすきや秋の様相をした草等が種子を付けて生い茂っています。次第に民家も増えてきます。鉄橋の痕跡を見落とさないよう注意しながら走ります。

 ありました!川を渡ろうとする朽ちたコンクリートの橋台。ここは道沿いの農家の裏手になっています。さっき線路跡 から離れたばかりですが、なんだか久しぶりに出会った様な気がします。これから先はしばらくの間、阿野呂川と道道札夕線の間に存在するのは間違いありませ ん。しかしその路盤は畑等になっていて失われています。右は山手ですが、左は平野となって急速に広がってゆきます。

 

  写真7・旧二岐駅

 ここから数百メートル行かないうちに、もう一つ発見!このあたりの畑作地帯の雰囲 気にはあまり似つかわしくない、高い位置に丸窓が2つ配置された時代を感じさせる建物です。宮脇さんが”大正のモダニズム”と表現している旧二岐駅。今は とある民間施設の倉庫として使われていて、”日の出分場”と書いた看板が出ていました。このあたりは現在”日の出”という地名です。人の居る気配はありま せん。大きな四角い窓からのぞくと、農産物用の段ボールの箱が沢山積んであり、本来の役目を終えた旧駅は静かに時を送っていました。この建物は今回の夕鉄 線探訪の中では最も当時の雰囲気を感じさせるもので、末永く保存していただきたいものです。資料によると駅名の由来は、右手の山の奥にあった角田炭坑への 専用線が分岐していたことからとか。

 

写真8・旧継立駅 

 旧駅をデジカメに収めて出発。「次の停車駅は、つ ぎたて〜 つぎたて〜。」なんてアナウンスがあったのでしょうか。自転車は快調に少し下り気味の道道札夕線を行きます。程なく継立の街並みに入って行きま す。この町、レースイへスキーに行く時に通過するので知っていましたが、栗山の本町から10Km程も離れています。きれいな郵便局やスーパーマーケットや ら、独立した機能を持つちょっとした街並で、地勢から見ると何故ここにこのような街が成立するのか不思議でした。なるほど、その昔の夕鉄線継立駅前に形成 されたのでしょう。セブンイレブンの存在に、やっと現代に引き戻された様な奇妙な感覚を覚えました。小さな旧継立駅は、民間会社の事務所になっていまし た。外装はきれいに塗り替えられていますが、裏手はホームの雰囲気を残しています。その線路跡の向こうは当時からあったと思われる、大きな農協(JA)の 穀物集積倉庫群があり、輸送がトラックに替わった今も現役でした。江別産だと思われる赤煉瓦の重厚なものもあります。当時、江別では赤煉瓦の生産が盛ん だったのです。野幌で石炭を下ろした後の貨車には江別の煉瓦が積み込まれ、このあたりへ建築材料として運ばれていたことは、ほぼ間違いないでしょう。

 

 この先広がる大平野における夕鉄の痕跡の手がかり は、旧駅の存在によってできた本町から離れた集落、旧駅に沿ってある穀物倉庫群、江別産赤煉瓦と考えることができそうです。また地図を眺めると栗山、長沼 の平野部の農地は碁盤の目に整然と区画されていますが、その縦横の農道の区画に関係無く、野幌方向へ向かう変わった車道があるのに気がつきました。

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